卑弥呼は年配の巫女、と言っても亡くなったのは38歳。卑弥呼については魏志倭人伝に詳細に記述され、邪馬台国のことも詳しく書いてあって、当時の日本人の生活ぶりが残されていることに驚く。
清潔に暮らし、村民でも一夫多妻がおり、寿命も成人すれば現代人と変わらない。人口も20万~60万と、島根県くらいの人口がいて、都市国家を形成していた感じ。
卑弥呼は誰にも姿を見せず祭祀を司り、弟が政を担当した。1000人の女官が奉仕しし、たった一人の男の給仕だけしか近づけなかったという。
政争に長けていて、中国に使者を送り、狗奴国との戦の援助を求め、教祖でありながら、戦う女神でもあった...
卑弥呼について調べてみると、墓も見当たらない、祀られている神社もない。霧が消えたように消息不明。
日本で詳しい記録が残っている最古の人物なのに、扱いがあまりにも不憫なのは、きっと女王だったからだと思う。これが男王だったら、絶対やんややんやと祭り上げられていたはず。
卑弥呼の神格化は、神武以降の天皇制統治の邪魔だったんだろう。
男系による天皇制の国家統一のために、かつて女王が君臨したことは都合が悪かったろう。
男王だと国が荒れ、女王だと平和が訪れる。
だから卑弥呼の後、再びトヨ(台与)が女王となる。
卑弥呼かもしれないという神社は、豊後にある宇佐神宮の比売大神が、正体不明なので卑弥呼ではないかと言われている。正体不明って。
亡くなった時は100人の殉葬が行われたという程巨大な墓があったのに。
魏志倭人伝によると、その住まいは幾重にも囲まれた柵の中にあり、見張りを置いて誰も近づけなかったという。長い柵に囲まれた吉野ケ里遺跡を彷彿とさせる。
佐賀から熊本への流れが思い浮かぶのだけど、日見女だったら佐賀、火見呼だったら熊本かななんて思った。
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